★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第391号 2023年7月8日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
▼目次
■1985年6月29日、ナホトカ航路で横浜大桟橋から出航
■1985年6月29日、ナホトカ航路で横浜大桟橋から出航(日
■■編集後記
★本文★
■1985年6月29日、ナホトカ航路で横浜大桟橋から出航
1985年6月29日、予てより準備していたナホトカ航路でヨー
このルートは、シベリア鉄道を経由するため、当時としては経済的
ていたがかつてはヨーロッパへの最安値のルートだった。しかも、
で現地で往路を調達しなければならない。
1980年代まではこんな旅行が出来た時代だった、今では想像も
何を思い出航したのか、何かに駆り立てられるようにだった。ネッ
よく具体的な情報を得られたのか、語学もろくに出来ないのに。
そんな旅、時は時は1985年6月29、土曜日、当日は梅雨どき
浜港大桟橋、出航時刻は11:00だった。学生時代の友人が仕事
パートから横浜の大桟橋まで送ってくれた、そして、出航の際にテ
くれた、たいへん有難がたかった。
当時のソ連への渡航は代理店に依頼してテレックスで予約確認をし
ストに円建てで支払うバウチャー制度、それを持って麻布狸穴町の
査証を申請受領した。
また、この旅行のために一眼レフカメラCanon AE-1 Program+35‐75 f3.5-4.5を
中古で調達した。Nikon F2を考えていたが手が出せる価格ではなかった。ど素人
というか、レンズの選択もよくわからないまま(標準の明るい単焦
らばもう少し写真が変わっていたのかもしれない)、そして、試し
ま出発となった。フィルムはKodachromeとEktach
質がいいという評判を聴いていたからだ。しかし、Kodachr
いをそれほどりかいせず、のあり様。その他、友人が餞別代りにと
うネガフィルムを何本かもらった。最初にネガフィルムから使い始
大桟橋の出入国管理事務所で出国手続きをした。横浜出国のスタン
トに押された。それからハバロフスク号の船内へ入った。インツー
ゲイという添乗員が日本語で案内した。
船室は2段ベッドが向かい合う4人部屋だった。申し込んだ船室は
空いていたので埋まっておらずワンランク、グレードアップしたと
重い雲が垂れこめた横浜港大桟橋、出航間際に甲板にでて友人に手
鑼が鳴り響く中、多くのテープが投げられ、友人も投げてくれた。
は映画の中だけだと思っていたのに自身が体験するとは思いがけな
った。ハバロフスク号は、定刻通り、11時に横浜港を出航した。
離岸したハバロフスク号は横浜港内を真っ直ぐ東京湾へ、この時、
ッジは完成しておらず、もしかしたら橋脚の工事中だったのかもし
から太平洋へ出てから左旋回し、北上、津軽海峡を目指した。
ナホトカ港には7月1日着なので2泊3日の船の旅となった。津軽
は夜半、船窓からイカ釣りの漁火が見えた。これは6月30日に夜
その前に太平洋上で夜を過ごしていることになる。
下記に日程を記しておくが、ナホトカ航路は2泊3日、ナホトカか
までの鉄道が1泊2日、ハバロフスクからイルクーツクの鉄道が2
ツクからモスクワが3泊4日であった。スケール感が大陸的である
い。
もちろんソ連邦への旅行は初めてで海外もその前に一度ヨーロッパ
だったので何かとアクシデントというのかソ連邦では日常的だった
は記憶に残る出来事が起こった。また、ロシア人の人となりもこの
少しは肌で感じることができた。
7月1日にナホトカでソ連邦へ入国、シベリア鉄道でモスクワへ、
ツクでバイカル湖を見に一泊、モスクワまでさらに鉄道で、そして
行列車と飛行機で往復、モスクワから夜行列車でレニングラードへ
日、レニングラードからの夜行列車でフィンランドへ出国した。ソ
ろいろなことを見聞きしいろいろなことを体験した。今でもその時
きりと覚えている。
シベリア鉄道ではインツーリストの添乗員、マリーナ(当時、ウラ
東大学生、夏季アルバイトか義務なのか)にいろいろと話を聞けた
でキエフから戻った時にコスモスホテルで再会し、翌日モスクワを
を乗り継いで歩き回れたことは幸運であったし、人との接し方を学
た。
写真は街中や人々を撮りたかったが、結果、少ない。ネガの一部は
ようだ、残念の極み。ハバロフスクで民警にご招待されたことから
露され、その後はシャッターを切るのを大いに躊躇った。
旅行予約証であるバウチャーはソ連出国時に回収されてしまった、
ていなかった。そして、入国時とおなじように出国時もスタンプは
った。
http://1985.iio.org.uk/index.h
元記事: https://eastriver229.blogspot.
-railway-and.html
■1985年6月29日、ナホトカ航路で横浜大桟橋から出航(日
横浜港大桟橋からナホトカ航路で出航し、ナホトカからシベリア鉄
線、シベリア鉄道ハバロフスクを経てモスクワまで鉄道でユーラシ
し、そして、キエフに足を延ばし、レニングラードからフィンラン
ここまでで17日間、ユーラシア大陸での距離感を肌で感じたし、
1.1985年6月29日(土) 横浜11:00-> 船内 横浜港大桟橋から出航
2.1985年6月30日(日) -->-->--> 船内 津軽海峡を経由
3.1985年7月1日(月) -ナホトカ-> 列車内 午後ナホトカ港着、バスで
極東鉄道・太平洋駅へ
4.1985年7月2日(火) -ハバロフスク-> 列車内 極東鉄道ヴォストーク号か
らシベリア鉄道・ロシア号
へ乗り換え
5.1985年7月3日(水) -->-->--> 列車内 シベリアの原野をひた走る
6.1985年7月4日(木) -イルクーツク イルクーツク 夕方イルクーツク
着、アンガラ河畔に位置する
インツーリストホテルへ
7.1985年7月5日(金) イルクーツク-> 列車内 バイカル湖畔見学、午後一
日遅れのロシア号へ
8.1985年7月6日(土) -->-->--> 列車内 列車は走る
9.1985年7月7日(日) -->-->--> 列車内 列車ひたすら走る
10.1985年7月8日(月) -16:40モスクワ モスクワ 午後4時40分モ
スクワ・ヤロスラブリ
Yaroslavli駅到着
11.1985年7月9日(火) モスクワ--> 列車 夜行列車ドニエプル号でキ
エフへ
12.1985年7月10日(水) -キエフ- キエフ 早朝キエフ着
13.1985年7月11日(木) キエフ-->モスクワ モスクワ 午後、国
内フライトを利用してモスクワへ
14.1985年7月12日(金) モスクワ--> 列車 夜行急行列車レッドアロー
号でレニングラードへ
15.1985年7月13日(土) -レニングラード レニングラード 早朝着
16.1985年7月14日(日) レニングラード- 列車 ペトロドヴォレツへ 夜行
列車でフィンランドへ
17.1985年7月15日(月) --> ラハチ ソ連邦出国、フィンランド入国
元記事:https://eastriver229.blogs
★本文ここまで★
▼前号目次
■東京高速道路(銀座1-8)
■ダマスカス旧市街
■パナマ運河
■■編集後記
■■後記
1985年のナホトカ航路シベリア鉄道の記憶を頼りに再現してみ
注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機
はタシケント到着後の2009年月14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika
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★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
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発行責任者:飯尾彰敏
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