2013年3月10日日曜日

【世界街角通信】第158号アルメニア大統領選挙と南コーカサス 2013年3月9日



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メールマガジン「世界街角通信」       第158 201339
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218日にアルメニアで大統領選挙が行われました。そのアルメニアとアルメニ
アが位置する南コーカサス地域の今後の方向性についてレポートします。

▼目次
■アルメニア大統領選挙結果と今後の南コーカサス情勢

■■後記
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■アルメニア大統領選挙結果と今後の南コーカサス地域情勢

先月の218日にアルメニアで大統領選挙が行われた。アルメニアはソビエト連
邦から1991921日に独立宣言を行い、10月にペトロシャン初代大統領が就任
し、今回の大統領選挙で6回目、大統領としてはペトロシャン大統領、コチャリ
ャン大統領、サルグシャン現大統領と3人が就任、今回の選挙はサルグシャン現
大統領の再選をかけた選挙となった。三選は禁じられているので、今期がサルグ
シャン現大統領の最後の5年間となる。

さて、そのアルメニアについては日本では直ぐにアルメニアをイメージできる人
やアルメニアがどこにある国か等の知識を持っている人は少ないのが現実ではな
いだろうか、地理的にはヨーロッパよりも近いが心理的には地球の反対側近いの
が現実のようだ。

アルメニアは旧ソ連構成共和国の一つであり、ソ連邦が崩壊した1991年にその他
の構成国家と同様に独立し、現在に至る。場所は、南コーカサス、北コーカサス
はロシア領内となり、カフカス山脈の南側に位置し、グルジア、アゼルバイジャ
ン、トルコ、イランと国境を接する。

今回の大統領選挙は7名が立候補し実質的に現職大統領のSerzh Sargsyan(Repub
lican Party)Raffi Hovannisian (Herritage)との選挙戦となった。選挙結果
Sargsyan58%Hovannisian32%の得票となり、現職であるSargsyanが二期
目を務めることになった。他の5名の得票率は4%以下であった。
oll

日本外務省はこの大統領選挙結果について「平穏かつ民主的に行われたことを歓
迎する」コメントを発表している。また、選挙監視員をOSCEODIHR選挙監視団
へ在ロシア連邦日本大使館から1名派遣している。なぜ、在ロシア連邦日本大使
館なのか、それはアルメニアに日本大使館がまだ設置されておらず、モスクワか
らアルメニアを管轄していることによる。

この選挙結果はアルメニア及び南コーカサス地域にとってどういう意味があるの
かというと、サルギシャン大統領の再選により内政的に大きな政治的変化をもた
らすものではないが、STRATFOR他で分析されているように南コーカサス地域にお
ける広義の戦略的な転換期に直面する。これはアルメニアにとっては、昨年以来
のロシア・グルジアの関係改善により、アルメニア自身の政治的な孤立化を改善
する地域経済統合の進展により、アルメニアにとっては経済成長が可能となるこ
とを意味する。
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アルメニアはアゼルバイジャンや旧ソ連圏の専制的な国家とは異なり、アルメニ
ア大統領選挙は典型的に非常に競争が激しい。1998年と2003年の大統領選挙では
最初の選挙で過半数を取れなかったことから両選挙とも決選投票となった。過去
においてこの競争が時折暴力と不安定をアルメニアにもたらした。2008年の選挙
では、現職大統領のSerzh Sargsyanが政権に付いが、対立候補であるLevon Ter-
Petrosianの支持者によるエレバンでの数万人の抗議デモが発生した。デモは暴
徒化し治安維持部隊の介入により鎮静化したが、その結果、死傷者が多数発生し
た経緯がある。

今回は前回とは異なり、過度な競争は予測されておらず、実質的に現職大統領の
Serzh Sargsyanに挑戦する候補者はなく、二人の前大統領であるLevon Ter-Petr
osianRobert Kocharianの両氏とも立候補を辞退した。その結果、不安定化若
しくは暴徒化の見込みは避けられた。世論調査結果からSerzh Sargsyanの勝利が
60-70%の得票と楽観的な予測であった。

外交政策に関しては、大統領選挙で誰が勝利するかに関係なく多大なシフトはあ
りそうもない。全ての候補者は、ロシアとの関係強化を広範囲に支持、モスクワ
は重要なエネルギー供給者であり、外国援助と投資、そして、ロシアは鉄道、通
信、天然ガスパイプライン等のアルメニア国内の多くの戦略的なインフラ資産を
所有している。

重要なのはロシアがアルメニアに5000名の兵力を有する軍事基地(102露軍基
地)を維持し、アルメニアがアゼルバイジャンと紛争中であるナゴルノ・カラバ
フ占領地に関する安全保障上の保証をしていることであり、アルメニアの地政学
的な方針の変化は今後もありそうもない。
yumri.html

しかし、大きな変化はアルメニア国境の向こう側で既に進捗している。過去数十
年、アルメニアはコーカサスにおけるロシアの頼みの綱であり、グルジアは米国
及びNATOとの関係強化を目指し、アゼルバイジャンは、ロシアと欧米とのバラン
ス関係に努めた。しかし、201210月の総選挙で野党が躍進し、Bidzina Ivanis
hviliが首相に就任以降、トビリシはモスクワとの関係改善を積極的に進めてい
る。
BRE8B914E20121210

アゼルバイジャンやトルコはこのグルジアの方針転換に懸念を示し、他方、アル
メニアはこの転換を強く支持している。グルジアとロシアの関係強化は、ロシア
からアルメニアへ直接鉄道を繋げアルメニア経済を強化する事ができるアブハジ
ア経由のロシア‐グルジア間鉄道復旧の事業化等への関心を呼び起こしている。

-through-georgian-russian-railway-link-analysis/

この事業を含め障害は多いけれどもこれらの事業がコーカサス地域におけるアル
メニアの孤立を改善することに繋がる。アルメニアは、長きに亘りモスクワの強
固な同盟国であり、南コーカサスでのよりロシアに近い政権の出現は、アルメニ
アの政治的経済的な展望を明るくさせている。

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■■後記

筆者が注目しているユーラシア情勢、その中でも南コーカサスの小国アルメニア
での大統領選挙と地域情勢についてレポートした。

冒頭の通り、日本と直接的な関係は濃くないこともあり、日本の外交方針である
「自由と繁栄の弧」の文脈で考えて行くのが当面であろう、南コーカサス地域の
視点でもでもそれぞれが経済規模が小さいこともあり、新たな軸が出現するとも
思えない。しかしながら間接的にはこの地域の安定化が日本の利益に繋がるので
はないだろうか。

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2013年2月12日火曜日

【世界街角通信】第157号 インドとパキスタン(6) 2013年1月27日



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メールマガジン「世界街角通信」       第157 2013127
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昨年から南アジアと縁ができました、今回はインドとパキスタン(6)です。現在、
インドですのでパキスタンはもう少し先なります、悪しからず。

▼目次
■コルハプールの二夜その2
■近代的なスーパーStar Bazaar
■コルハプール中心部のヒンドゥー寺院Shri Mahalakshmi Temple
■コルハプールからプネーへ、そしてデリーへ戻る

■■後記
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■コルハプールの二夜その2

 翌日は仕事で3箇所に滞在した。2箇所はコルハプール行政区(県と訳すのだろ
うか)内(Yalgud and Hupari, Kolhapur District)、もう一か所はプネーに1
時間ほど戻った国道4号線沿いのSangli Districtだった。土地勘がないのでどこ
へ行ったのやらまったくわからなかったが、道路は整備され良好、インドはとに
かく広いとの印象を受けた。

 この日も一日中走りまわっていたが夕飯をちゃんと食べようとこれまでよりは
早めに切り上げてレストランを探した。もちろん同行のインド人が探すわけであ
るが。彼らは何度か出張してきているので情報は持っているはずだ。ということ
で、お任せであるホテル内にあるレストランへ行った。彼曰くここが一番とのこ
と。

 どうやら地方都市はホテル併設のレストランが適当ということのようだ。コル
ハプールの名物は、「マトン」、お任せでマトンカレーだったかマサラだったか
覚えていない、それから、シュリンプの焼き物、野菜カレーとサラダを注文した。
そらから、ライス、ナン、ロッティ。筆者がロッティを注文したのだがどうやら
健康的らしい、精製していない小麦粉を使って作るのだそうだ。料理は昨晩より
ずっと美味しかった。

 昨晩、一人のインド人がウイスキーを飲んでいたので今日は何を飲むのかと聞
いたら、飲まないという。なぜかと言うと、この日は飲んではいけない日とのこ
と、満月の日だったようだ。インドには時々このような禁酒日があり、レストラ
ンでも酒類は出さない。90年代にカルカッタで仕事をしていた時を思い出した。

 食事の後、インド人をホテルへ送りそれから夜のコルハプール探索に出かけた。
ドライバーも私もこの街を知らない、ドライバーは生まれも育ちもムンバイでこ
の街は2度目だが良く知らないと言う、ではどうやって探索するか?

 とにかく商業的に中心地と思われる方向へ車を進める。鉄道駅があるが果たし
て中心に近いのか否かは全く分からない、道路沿いに出店がいくつか出ている、
ドライバーに聞いてもらい走り回ってみたが街の核が解らない。案内も地図もな
い手探りなので繁華街と思われるところで車を止めて人の流れを見ようと試みた。

 タクシーやリクシャーが客待ちで停車しているが特段大きな流れがあるわけで
はない。目立ったことと言えば、停車していた反対側で結婚式の銅鑼が鳴り響き、
一団の行進が夜のコルハプールを練り歩く光景を見たことだ。

Kolhapur Corporation

Kolhapur District

Kolhapur World

Kolhapur Tourism

Hotel Victor Palace

■近代的なスーパーStar bazaar

 ホテルの目の前に新しそうなスーパーマーケットがあった。かなり大きそうな
ので一度は販売している商品を見てみようと思い、夜の探索で成果がなかったの
でここへ寄ることにした。

Star bazaar」というTATAグループが経営している昨今のハイパーマートでイ
ンドでは第8番目のスターバザーだ。

Star Bazaar for a shopping spree

 いわゆる大型のスーパーマーケットで8時から22時半まで営業している。商品
はインド製品や東南アジア製品が多く日本のスーパーマーケットとも変わらない
品揃えだ。本当に私の記憶は今は昔、かなりの更新が必要な状況を痛感した。

 デリーではホテルと事務所の往復しかしておらず、1日しか滞在していないの
でどこへ行く時間もなかったのだが、このような生活状況を掴んでおくことは海
外で滞在するためには非常に重要なことなのである。

 筆者は不足していた綿棒、シャンプー、歯ブラシを購入した、質は大変良く東
南アジアと品物は同じだ、ライセンス生産なんだろう、Made in Indiaとなるだ
けだ。

 運転手もここは安くて質が良いといい、靴下を買っていた。

■コルハプール中心部のヒンドゥー寺院Shri Mahalakshmi Temple

 三日目の午前中、中心部のヒンドゥー寺院前にとある店舗があり、そこを視察
しようということになった。その寺院は、Shri Mahalakshmi Temple、ビジネス
に関係がある神様のようだ。日曜日だったからなのか、多くの参拝者が来ていた。

 入口があったのでそのまま入ろうと思ったら呼び止められた、ここは、土足厳
禁、入口横で靴を預けて裸足で入る。同行したインド人と一緒に寺院本堂の周囲
を一周したが混んでいるので中には入らなかった。間近にヒンドゥー寺院を観た
のは何十年ぶりのことか、彫刻が美しい。

 寺院の周囲は門前町の様相を呈し、歩行者専用道路になっていて店舗が軒を連
ねている。路面では露天商が季節の果物を売り、その横ではカツラを売っている
のだろうか、マネキンにかぶせていた。また、皮の草履がここの産地で、皆買い
求めている。

 お目当ての店舗は、日曜休業で閉まっていたがここまで来れたことは幸いであ
った、さもなくばコルハプールの中心を知らずままこの街を去ることになってい
たのだから。

Shri Mahalakshmi Temple

Shri Mahalakshmi

■コルハプールからプネーへ、そしてデリーへ戻る

 目的が果たせないことが明確になったので寺院の周囲にあるショップを興味本
位に見て歩き、プネーに戻ることにした。今夕、ここからデリーまでエアーイン
ディアで移動する。中心市部で運転手が道に迷った、なかなか幹線道路へ戻れな
い、そんな道だった。

 途中、橋の上で車を停め、歓迎に戴いた花束などを川に戻した。どこでもそう
だが、インドではこのような花束で歓迎することは知らなかったし初めてだった。
ターバンのような布も頭に巻かれた。90年代にカルカッタで仕事をしていた時に
はこんなことは無かった記憶、お祭りには招待されたが。

 ある料金所でイチゴを売りに来た。近くで栽培しているという、同行インド人
二人を1パックづつ購入した。イチゴは傷みやすいのでその場で食べる以外は手
を出せないし、日本のイチゴの味を知っているので止めておいた。

 プネー市内に入り、プネー事務所長の案内であるレストランで昼食を食べた。
インドのレストランはファミリー用(女性が入っていなければならない)とそれ
以外にテーブルが分かれている、男だけだったので我々はファミリー用には入れ
ずそれ以外のテーブルで食事した。どちらかと言えば、ファミリー用のが好条件
の印象だ、その方が投下金額が大きいだろうから。

ViertualPune

ClickIndia-Pune

 食事は大変美味しかった。いつものことながらインド料理で外れることはまず
ない。筆者は基本的には酒類はほとんど飲まないが、インドビールを一口だけい
ただいた、キングフィッシャーという銘柄だっただろうか、口当たりが良かった。


 食事の後、レストランの入り口に売店がありインド人二人が向かった。ドライ
バーもだが。葉っぱに何かを付けてむしゃむしゃとやり始めた。嗜好品なのだろ
う、名を失念したが、試す気にはなれなかった。

 ムンバイのホテル代が立て替え払いとなっていたので、プネー事務所長へ支払
わねばならない、現金を持ち合わせていないのでATMからクレジットカードでキ
ャッシングをしようとしたのだが受け付けてくれない。ATMは通り沿いに多い、
レストランの近くで使ってみたが、キャッシング出来ないので、このときは、Ba
nk of Indiaという銀行、それではとプネー中心部の行政機関が集まる地区にあ
HSBCで試みるも現金が下ろせなかった。

 多分、空港なら大丈夫だと楽観的に考えていたが立て替えたインド人の必死の
様子が伝わってくる、大金ではないが小額という金額でもない。どうしても引き
出せない場合は、デリーで両替して手渡すことにした。

 空港に着いて、見渡すとATMのボックスを見つけた。再度、引き出しを試みる
と、しっかりと現金が出てきた、これで、彼に返却することが出来、目出度し、
目出度しであった。

 プネーの空港はローカル空港のような国際空港であった、しかし、国内線主体
ではある。エアーインディア(AI)の850便は1840分発、デリーには2040
着であった。フライトの1時間半くらい前に空港に着いたので、同行のもう一人
のインド人と話しながら待った。外国人もちらほらいる、日本人ビジネスマンや
工場勤務であろうと思われる人たちもだ。

 エアーインディア、かなりサービスレベルが高い、数少ないサンプル数ではあ
るが概ねオンタイムの出発となっている。一時はスターアライアンスへの加盟が
承認されたが意見が合わなく最終的に加盟に至っていない。

 空港ではセキュリティチェックは厳しい、手荷物にはチェックしたというスタ
ンプがタグに押印されるが、ゲートから搭乗するときにそのタグがないと乗せて
くれない、タグは紙なので何かの拍子に容易に外れてしまうので取り付け場所等
を注意していなければならない。

Pune Airport

Pune Municipal Corporation

Pune District

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■■後記

短期ながら密度の濃いインド滞在となった。もう2-3回行くとインド通になるの
かもしれない、どうだろうか、決して合わないことは無いとは思うが。

インドを統治したムガル帝国の皇帝バーブル(バブールだと思っていたがこちら
のようだ)はインドからは天山山脈の彼方、フェルガナ盆地の出身なのだから不
思議だ、サマルカンドの領主がカブールの領主となり、北インドへ侵攻した。

ムガルとはペルシャ語でモンゴルを意味するそうだが、バーブルはチンギス・
ハーンの末裔であり、チムールの末裔でもある。

なぜ、中央アジアにいたバーブルが南下しインドまでやってきたのか、それはこ
の地域の歴史を紐解かねば解るまい。

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2013年1月25日金曜日

【世界街角通信】第156号 インドとパキスタン(5) 2013年1月23日



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メールマガジン「世界街角通信」       第156 2013123
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 2013年、幕の内もとっくに過ぎ下旬に差し掛かりますが、新年のご挨拶もせぬ
まま今年初です、明けましておめでとうございます。

 このメールマガジンを始めたのが2009年初頭、中央アジアはウズベキスタンの
首都、タシケントに長期的に滞在することになったのがきっかけです。今年で5
年目に入りました、国際情勢と言いながら主に各地の風景をお届けしています、
引き続きご愛顧のほどどうぞよろしくお願いします。

 昨年から南アジアと縁ができ、今回はインドとパキスタン(5)です。

 ちなみに2012年は日印国交樹立60周年でした。

▼目次
■国道4号線でムンバイからプネーへ
■インドのオックスフォード、プネー通過
■サトウキビ街道をひた走りコルハプールへ
■コルハプールの二夜その1

■■後記
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■国道4号線でムンバイからプネーへ

 ムンバイでは本当に寝ただけ、夜着いて朝出発なのでどの町に泊ったのかまっ
たくわからない、ムンバイと言われたのでそうかなという程度、筆者的にはこの
ようなスケジュールは好みませんがクライアントの御指示とあらば致し方ありま
せん。なのでムンバイのことを聞かないようにしてほしいですね。ホテル代を含
めて。

 午前中は、Dighoda-Kanthavli, Raigad DistrictMumbaiの郊外、湾を挟んで
Colaba地区の対岸、Novi Mumbaiの南に滞在した。8時半に出発というので準備し
て待っていたら、830分から9時の時間設定のようで車も9時にしか来ず、30
ほど無駄にした、だったらもう少し朝食をゆっくり取れたのに。遅く出た分、目
的地に着くのは遅くなる。始めてなら尚更だ。

 何も予備知識がないまま移動するのはこれまた筆者的には望まないのですが、
スケジュールを見るとムンバイ郊外で一つ打合せをし、それからプネを経由して
コルハプールへ行くとある。途中、いくつか業務上の打合せをしつつ。400km
度を移動するようだが、何時頃にどこへと着くとことはまった注意が払われてい
ない、よって何時頃どこで昼食を取り、何時に打合せするのか、まったくない。

 インド政府職員が一緒なので気楽ではある。地図を見ると国道4号線を下るよ
うだ。ムンバイ-プネ-コルハプールとなる。道路状態は良好、4車線あり走行し
やすい。こと地域は初めてだが新しく整備した道路であろう、時々料金所がある。

 ここでインド政府職員の力が発揮される。有料道路は国営なのだろう、政府関
係者は無料となるようだ。IDを料金所で見せるとすんなりとはOKが出ない、窓口
の職員は判断せず、上司に必ず確認に行く、そして通過してよし、となる。料金
所毎にこの作業を繰り返し、

 陸上を走るとよくわかるのは地形だ、ムンバイは海沿いの岬に位置するが国道
4号線は内陸に進むに従って標高を挙げて行く。峠のような急坂を登りきった先
にプネーがありそこからは平地だった、プネ-の海抜は560mだ。

The Mumbai Page

■インドのオックスフォード、プネー通過

 インドで最も日本語教育が盛んな都市で、1971年、プネー印日協会によって日
本語教育が始められたそうだが、この時は郊外を国道4号線が通るため、便宜的
に通過しただけで何の予備知識もない、後で調べたらこのような説明があった。

 また、「インドのオックスフォード」と言われるほど高等教育機関や研究機関
が存在し、世界中から学生が集まりインドへの留学生全体の35%がプネー大学で
在籍している。プネー大学以外にも17校の工科大学があり、5つのITパーク(Hin
jewadi, Talwade, Kharade, Pune IT Park, and Magarpatta City)がある。

 このようにIT産業を中心にインドでもっとも目覚しい発展を遂げており、多く
IT産業やソフトウエア開発会社の本部がある、そして、工業やビジネスの中心
でもある、云々。同乗者のインド人はトヨタ自動車やフォルクスワーゲン等の自
動車産業もこの都市に集積していると説明していた。

 プネーは、マハトマ・ガンディーが一時期監禁された場所でもある。

 国道4号線が郊外を通過している。両側に新しいビルと住宅が目立ち、一部は
建設中であった。同乗している現在はプネ支局長に尋ねると、皆IT産業だという、
ここはハイデラバードに並んでインドのシリコンバレーだそうだ。

 このようにプネーはかすめただけで国道4号線を先へ急いだ。まだ、この日の
第二の目的地へ到達していないのに時間は午後も折り返していた。

Pune Municipal Corporation

Virtual Pune

■サトウキビ街道をひた走りコルハプールへ

 プネーから国道4号線をコルハプール方面へ走っているがなかなか第二の目的
地へ着かない。場所がどこかは聞いてもわからないが、時々、iPhoneが現在地点
を知らせてくれる、これは電波が届いた時だけだ。いかんせんiPhone3Gなので反
応が遅い、キャリアーは問題ないのだが。その地点と地図上の位置を確かめるが
地図には載っていない場合が多い。

 プネーを過ぎてから休憩しようというので沿道にあるドライブインでチャイを
飲んだ。隣では美味しそうに食事をしていた。我々の昼食は、プネーの手前にあ
る大きなドライブイン、何を注文して良いのか良くわからないのでその土地の名
物だと言うの料理を注文したらパンとコロッケのスナック程度の量だった。ラッ
シーはあるかと聞いたらプラスチックボトル詰めだった。これにはがっかりした
が、インドはそんなに進んだのだと感じた。そんなランチだったので空腹感は継
続していた。

 摂生中ゆえ、丁度よいと言い聞かせブラックティーを注文した。しかし、出さ
れたのは濃すぎる紅茶、お湯を注文するが不思議な顔をされた。郷に入っては郷
に従え、通常のミルク入り砂糖入りチャイが無難だ。

 途中、峠道が一か所あった。ここだけ山がある不思議な地形だ。当然、トラッ
クは登るのが遅い、登坂車線がないので車が自然と渋滞する、トンネルでもあっ
たら良いのに。

 この峠を抜けるとまた平地が広がっていた。多分、行政区を跨いだのだろう、
この辺りから道路の両側にサトウキビ畑が目立ってきた。時々だが、サトウキビ
を満載したトラックともすれ違うことがあった。

 第二の目的地は、Satara DistrictSataraだろうか、国道4号線を左に折れた
先にあった、途中、サトウキビ畑があり、目的地の手前はサトウキビを満載した
トラックや牛車で多く待機していた。既に夜の帳が下り、短時間で打合せをし視
察を行った。帰り際、証明に照らされた牛車やトラックに満載したサトウキビの
意味が良く理解できた。

■コルハプールの二夜その1

 コルハプールの街の灯を見たのは21時過ぎになった。人が作ったスケジュー
ルで動くのは、理解しないでという意味であるが、疲れる事が良くわかったので
次回以降は出来れば避けたい。

 今夜の宿泊先は、Hotel Victor Palaceだが、このホテルは私だけのようだ。
同行者の出張旅費の枠を超えるので彼らはもう少し安いホテルにした。先に私の
ホテルに就いたのでチェックインをした、そして、同行者のホテルへ行きチェッ
クインとなったが、トラブル発生、なかなかチェックインできない。

 これならば先に食事にすればよいのだが、シャワーを浴びてから食事にしたい
と一人のインド人が言いだしたので待つことにするがなかなか部屋が用意されず、
用意されたと思ったらなかなか下りてこない。よってもう片方のインド人とここ
で食事を食べようと彼らの泊まるホテルで食事をした。この時すでに22時は回っ
ていた。

 トラブルの原因は同行していたインド人が予約していたホテルから突然のキャ
ンセル、先に宿泊していた客が延長した、になり、近くのホテルを紹介されたの
だがこちらもほぼ満室で準備がすんなりと出来なかったようだ。このクラスのホ
テル、インドでは常に満室状態が続いているようだ。公務員の宿泊費はどうもRs
1800までのようだ。職制上は、トップ3なのだが公務員は公務員なのだろう。

 ムンバイと一緒でここはどこなのか、認識する機会がなかったがコルハプール
に間違いは無い。ホテルは同行者の口添えで一番安い料金でスイートに泊った。
一人では落ち着かないが、インドは地方でもコストパフォーマンスはそれほど高
くない、このホテルの最低がRs4600、税込みでRs5400となる。

 初日と二日目で宿泊料金がRs70初日が多かったので何かと聞いたら、ドライ
バー用のベッドだと言う説明だった。二日目はどこか違うところへ行ったようだ、
あまりに酷かったのだろうか、もしRs70だとしたらリーズナブルだろう。レスト
ランでもドライバー用に食事が割り安で出される。インドではこのようにドライ
バー付きが前提でサービスが提供されている点が素晴らしい。

Kolhapur World

Kolhapur Tourism

Hotel Victor Palace

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アメリカ通信

■■後記

 インドは奥が深いといってハマってしまうのも心情的には出来ない、まあ、仕
事で関係している間だけでもしっかり把握しておこう、と考えていたのですがど
うも雲行き怪しく、クライアントの関連部署で時間的な余裕があるらしい、よっ
てしばらくは不明となった。まあ、こんなものだろうが、インドはもう少し続き
ます。

補足:
マハーラーシュトラ州、正確には考記述するようだ。

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