2022年7月21日木曜日

【世界街角通信MM】第358号 東京にて(ウクライナ)-2022-07-20

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第358号 2022年7月20日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■ウクライナの穀物輸出ルート
■キエフの記憶
■■編集後記

★本文★

■ウクライナの穀物輸出ルート

 Ukraine-Moldova-Galati(Romania)穀物輸出ルート、5月頃だったか、ルーマニ
ア運輸大臣のコメントのとおり、広軌鉄道をリハビリしている映像が後半にある。
つまり、既に予算化されていたということなのか。当然ながらG7でも協議された
トピックであろう。

Galatiはドナウ河川港を有し、ルーマニアの最東部の町で、モルドバの国境を接
し、ドナウ川のGalati河川港までソ連時代に広軌鉄道が延、伸敷設され、ドナウ
水運(内航水運)への積替えポイントとなっていた。

ロシアのウクライナ侵攻により、オデッサ港やミコライエフ港等の主要港湾が封
鎖されている状況下、ポーランドルート(鉄道)とともにウクライナ穀物輸送の
代替案の重要なルート(オデッサ港やミコライエフ港封鎖が解除されるまで)とし
て位置付けられている。

ウクライナから鉄道でモルドバを経てGalati港へ、内航水運に積替え、ドナウ川
を下るか、ドナウ運河経由で黒海のハブ港であるコンスタンツァ港への輸送がで
きる。

Galati港の下流にReni港(ウクライナ)があるが、現状、トラックが2000台待ち、
道路1本、バージへの積替がネックになっている。また、コンスタンツァ港の積
替設備の容量不足で急遽増設中とのこと。

ソ連時代の輸送インフラが冷戦の崩壊とともに経済的合理主義の下、朽ち捨てら
れ、30年を経て日の目を見ることになろうとは、誰が想像しただろうか?ヤード
がそのまま手付かずであったことが幸いだった。

機関別の輸送容量は、鉄道65t/輌x30輌=1950t、トラックは40ftコンテナで48t/
台(最大)、内航水運はバージを連結し3000t/バージx6まで、鉄道からバージへ
の積替が容量的に大きい。トラックだと河川港までのアクセスが、この地域、道
路状態は良好ではない。

New routes: how is Ukraine getting its grain out?
https://www.euronews.com/embed/1997962

■キエフの記憶

キエフと言っても現在のウクライナではなく、ソヴィエト社会主義共和国連邦構
成国家であったウクライナ社会主義共和国のキエフである。ソ連時代のキエフと
いうことになる。

 1985年7月10日、早朝、モスクワから乗った夜行列車ドニエプル号は「ゴトン、
ゴトン、ゴトン」とドニエプル川の鉄橋をゆっくりと渡り、その先のキエフ駅へ
滑り込んで行った。外国人旅行者は、ソ連邦国内では自由な移動が制限されてお
り、駅や空港に付いたらインツーリストオフィスへ行くことになっていた。そこ
には、予約した私の名前があり、予約したスケジュールに沿って交通機関やホテ
ルが手配されていた。それはそれで素晴らしいと思ったが、予定を変更すとどう
なるのか、試す勇気はなかった。

というのもキエフに来るまでに既に警察(ミリツィア)の世話になっていた。こ
れはハバロフスク駅前で写真を撮っていてミリツィアにみつかり警察署へ連行さ
れ、危うくシベリア鉄道に乗り遅れ、ハバロフスクに置いてきぼりにされかけた
ところを間一髪で予定通りのロシア号に間に合ったのだ、正確には1時間程度も
ロシア号を待たせた、これは、添乗していたインツーリストのスタッフ(当時は
ウラジオストク極東大で日本語を学んでいた女学生、夏休みだったので国家に奉
仕するアルバイトだった)がぎりぎりまで待たせてくれたからに他ならない。

列車がキエフ駅のホームに停車し、東独製の4人用のコンパートメントからバッ
クパック用の荷物を担いで列車を降り、ゆっくりと周囲を眺めながら駅のイン
ツーリスト事務所へ行った。あまり記憶に残っていないのはその風景に慣れてし
まったのだろうか、インツーリストで少し待っていると、タクシー(ヴォルガ)
が来たと英語で知らせてくれた。モスクワに着いたときは日本語を話すスタッフ
(モスクワ大学の女子学生で東京に滞在経験があり、NHKのロシア語番組に出演
していたと話してくれた。)がいたが、キエフでは英語だった。そして手配され
たタクシーはソ連製のボルガ、白だった記憶だが、のタクシーでキエフの中心に
位置するインツーリストホテル(だったと思う)へ向った。

どこをどうやってどの程度の時間をかけてホテルに辿り着いたのか覚えていない
が、駅を出た時に振り返ったら駅舎全体が見えたのでシャッターを押した。窓か
らなのか、後ろの窓越しなのか、この角度だと後ろの窓越しかな。この写真も恐
る恐るシャッターを押したことは間違いない、なのでシャッターを切ったのは1
枚か2枚だけだった。

朝は曇っていたが、その後、晴れてきた。インツーリストホテルのツアーデスク
で市内観光ツアーがあるのというので半日英語ガイドコース(確か6米国ドル)
に乗った。キエフはマロニエの花が咲きほこり、緑の中に都市があった。途中、
ソ連の構造主義的な巨大な彫刻が建っているドニエプル川を見下ろす丘があり、
眼下にその日の朝、鉄道で渡ってきた鉄橋が見え、その先に白い巨大なアパート
群が見えた。

キエフ1985の記憶より。

★本文ここまで★

▼前号目次
■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部
■■編集後記

■■後記

気になっていたGalatiルート、やはり現時点では重要な輸出ルート、広軌の鉄道
が河川港まで延伸しているのがミソ。

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第358号 2022年7月20日
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★

2022年7月5日火曜日

【世界街角通信MM】第357号 東京にて(ウクライナと日本)-2022-07-04

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第357号 2022年7月4日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部
■■編集後記

★本文★

■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東


 厚生労働省のHPにソ連邦及びモンゴル抑留者の収容所と埋葬地一覧情報が公開
されている。10年くらい前に調べた時にはヒットしなかったので見逃したのか、
その後、まとめられたのか。

 さて、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも
約200名以上の抑留者が埋葬されている。抑留者はソ連邦の広範囲にわたり収容
されていたことは知っていたが、ウクライナは東部に集中していたことを認識、
炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係があったのだろう、この地域での鉄鋼業の勃
興は帝政ロシア時代までさかのぼる。そしてウクライナとの関係が過去にあった
のだと認識した。

 その他、日本との関係では、ソ連邦崩壊後にウクライナ東部の老朽化した設備
類などの更新のために日本製品が納入された、10年ほど前に調べた時には総合商
社が事務所を置いていた。

 ウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬地、
211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェとなり、
この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方、収容所・埋葬地1、3名
ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方、収容所・埋葬地2、2


補足:日本人抑留者埋葬地を明確に認識したのは1996年にウズベキスタンへ出張
した際、調査団長が満洲引揚者で是非ともタシケント日本人墓地へ墓参したいと
の希望を表明されたことによる。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引(厚生労働省社会援護局)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/index.html

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部

第2次大戦後のソ連邦による旧満州や樺太・千島列島などでの日本軍の戦争捕虜、
通常は抑留者、シベリア抑留者という言葉が用いられている、が存在した。この
抑留者を明確に認識したのは、1996年にウズベキスタンへ出張した時に訪れたタ
シケント抑留者日本人墓地からだ。同じ、調査団に満洲からの引き揚げ者がいて、
その方が是非とも墓参したいと要請したからだ。

その後、ウズベキスタンにおける抑留者についてまとめ、wikiにも記載した。
1996年
http://uz.iio.org.uk/tashkent_jpn_cemetery.htm
2007・2009年
http://ca.iio.org.uk/uz/uz-tashkent_japanse_cemetery.html

タシケント抑留日本人墓地(wiki)

数日前の2022年5月31日、カザフスタンのスパスク(カラガンダ市近郊)にある日
本人抑留者埋葬碑に駐カザフスタン山田大使が献花したと大使館のFBで見かけた。
スパスクという地名は初耳だったが、カラガンダ郊外という説明で納得、ここに
は抑留者の収容所があったからだ。この日、大使はカザフスタンの「政治的抑
圧・ホロドモール犠牲者追悼日」に際して現地で行われた追悼式典に出席した機
会を捉えてだった。ここには日本人だけでなく27か国・民族の慰霊碑群が建立さ
れているという。それはカラガンダが鉱物資源を多く産出し、特に鉄鋼業が盛ん
でその精錬に必要な燃料となる石炭をカラカンダ炭田から産出する。そのせいか、
ソ連邦内からのロシア系、ドイツ系、ポーランド系、チェチェン系、朝鮮系など、
カザフ人以外が多く住む地域となっている。
https://www.kz.emb-japan.go.jp/files/100351255.pdf

この機会に少し調べ直したら、厚生労働省のHPに収容所と埋葬地の情報がヒット
した。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/index.html

カザフ共和国(現在のカザフスタン)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/kazafu/index.h
tml


さらに、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも
多くの抑留者が埋葬されていることを知った。抑留者自体はソ連邦の広範囲にわ
たり収容されていたことは知っていたが、ここであらためてウクライナ東部に集
中していることを認識、炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係あったのだろう。

これまで日本とは縁がないと思っていたが、老朽化した発電設備などの更新のた
めに日本の製品が納入され、10年ほど前に調べた時にM商事が事務所を置いてい
たことは知っていたが、抑留者もこの地域で働いていたということを再認識した。

一覧の注に地名表記のことで下記のような説明があった、つまり、これらの地域、
全部が東部なのでは、に日本人抑留者が送られ、多くの方々が死亡し埋葬された
ということになる。当時のことゆえ、戦争が始まってウクライナの都市名はウク
ライナ語表記を使うようになったが、その当時はソ連邦なのでロシア語のままで
よいと思うが。

注1 ハリコフ(ハルキウ)地方、ドネツク地方、ザポロジーエ(ザポリッジ
ャ)地方、ルガンスク(ルハンスク)地方、ドニエプロペトロフスク(ドニプロ
ペトロウスク)地方は現在のウクライナです。

現在のウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬
地、211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェと
なり、この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方、収容所・埋葬地1、3名
ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方、収容所・埋葬地2、2


★本文ここまで★

▼前号目次
■【ダマスカス旧市街】(mixi復刻2006年11月10日)
■不動産売買に係わる税金等
■■編集後記

■■後記

ウクライナ情勢のニュースを観ていて日本との縁があるのか、と。

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
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14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
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2022年7月1日金曜日

【世界街角通信MM】第356号 東京にて(mix復刻, 不動産売買税)-2022-06-30

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第356号 2022年6月30日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■【ダマスカス旧市街】(mixi復刻2006年11月10日)
■不動産売買に係わる税金等
■■編集後記

★本文★

■【ダマスカス旧市街】(mixi2006年11月10日)

何年かぶりにスークハミディエからウマイヤドモスク、その横、イエスの塔を経
てバプトゥーマ(トーマス門)まで記憶を頼り歩いた。

同行した人が気になったのが派手なランジェリーのディスプレイ、家と同じよう
に内側を着飾るのがイスラム文化だと説明しておいたが果たしてそうだろうか?
ウマイヤドモスクでは50SPの入場券を購入(サラディーン廟の横)して北門から
中へ入った。聖なる場所へ足を踏み入れるのは緊張する。ウマイヤドモスクの中
には聖ヨハネの骨が収められているお墓が存在する。ローマ神殿からキリスト教
の教会、そして、イスラム教のモスクへとの建物が変遷してきた歴史を垣間見ら
れる。

ウマイヤドモスクの南、イエスの塔に向かう通りはダマスカスの工芸品点が並ん
でいる。寄木細工はその代表的なもの。道沿いに歩いていくと門があり、階段を
降りて旧市街の奥へと進む。

階段の右側にはカフェがあり、アレギレ(水タバコ)を楽しむ人でにぎわってい
る。さらに
歩いていくと、ローマ時代の門の跡があり、このあたりから旧市街の生活が感じ
られる。ビデオ屋やシリアのパイ(ピデ)を焼く店、電気屋、グローサリーなど
が並んでいる。

イスラム学校の前には水のみ場が設けてある。このあたりに、イスラム療法の病
院が以前あったと聞いたが定かではない。途中、シリアのピデをつまみながら、
旧市街の生活に触れる。

道を間違えて、アルメニア教会とハマームを見損なってしまったが、難なくバプ
トーマへ着いた。その先はキリスト教地区だ。

■不動産売買に係わる税金等

不動産を売ったとき、買った時には税金がかかる。売ったときに譲渡利益が出た
場合、特別控除を差し引いても利益が出た場合は課税される。また、不動産を買
った時は不動産取得税という税金、現在は3%?

不動産売買に係わる税金等(SUMO)
https://suumo.jp/article/jukatsu/baikyaku/zeikin/kihon/
土地や建物を売ったとき-国税庁
https://www.nta.go.jp/publication/pamph/koho/kurashi/html/05_2.htm

譲渡所得-特別控除=課税譲渡所得金額
譲渡所得:譲渡価額-(取得費+譲渡費用)
特別控除:3,000万円

所有期間が10年を超えている場合は、上記(1)3,000万円の特別控除の特例を
適用した後の課税長期譲渡所得金額に対して、次のとおり軽減された税率で税額
を計算することになります。

課税長期譲渡所得金額      所得税     住民税
6,000万円までの部分    10%     4%
6,000万円を超える部分   15%     5%

確定申告の際には、所得税と併せて基準所得税額(所得税額から、所得税額から
差し引かれる金額を差し引いた後の金額)に2.1%を掛けて計算した復興特別所
得税を申告・納付することになります。

不動産を買った時の税金
https://www.tax.metro.tokyo.lg.jp/scene/index04.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■羽田空港新ルート飛行南風時運用とその騒音
■■編集後記

■■後記

6月30日、2022年の半分が終わろうとしている。

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

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http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
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