2016年3月6日日曜日

【世界街角通信MM】第248号 ニューヨーク紀行その12-2016年3月6日



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メールマガジン「世界街角通信MM」第248 201636
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

昨年9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在する機会がありましたので筆者の
視点で綴った「ニューヨーク紀行」をお届けしています。今回はその第12号です。
いささかバックログの感は否めませんが、どうぞお付き合いください。

▼目次
■イーストビレッジと日本料理屋街
■イーストビレッジの「リトルウクライナ」

■■後記

★★★本文★★★

▼ニューヨークの住宅事情補足
JETRO2015年にまとめたもの、所有、賃貸、ルームシェア、共益費、光熱費な
どを含んだもう少し具体的な4軒の住まい情報。共益費がやたらと高い、所有な
のに月額3000ドル(平米当たり7.18ドル)、まあ、418平米の床面積だからしょ
うがないのか、しかし、もう少し詳細説明がほしいところだ。

■イーストビレッジと日本料理屋街

3rd 2nd Ave/ 8th and 9th st.に和食屋が集中している。

そして、日本食料品屋のSUNRISE MARTイーストヴィレッジ店が3rd9thの隅切り
道路のStuyvesant Stに面している。店は2階。イーストビレッジの他にソーホー
とミッドタウンにも店がある。下記、参考まで。ちょっと立ち寄ってみた。

SUNRISE MART
EAST VILLAGE
4 Stuyvesant St, 2nd Floor, New York, NY 10003
TEL: 212-598-3040 FAX: 212598-9033
Mon-Thu, Sun 10:00AM11PM
Fri,Sat 10AM12:00AM

SOHO   
494 Broome St, New York, NY 10013
TEL: 212-219-0033 FAX: 212-219-1278
Mon-Sun 10:00AM9:00PM

MIDTOWN
12 East 41st St, New York, NY 10017
TEL: 646-380-9280 FAX: 646-380-9299
Mon-Fri 8:00AM9PM

なぜゆえに、この地区に日本料理屋が集中しているのかわからないが、日本料理
以外にもレストイランやバーも多い。基本、小規模な店、なので美味しくてリー
ズナブルであろうかと、勝手に想像している。

大戸屋の看板も見かけたが、さすがにNYCで入ろうとは思わなかったが、在住な
らば足を運んでいるかもしれない。たこ焼きやお好み焼きもあった。下記サイト
に詳細な案内がある。

イーストビレッジを歩いてみよう

低中層のイーストヴィレッジの街並み、緑豊かな街路樹と交通量が少ない通り、
その歩道の延長線上にカフェなどがあり、心地よい印象だ。

ダウンタウン側、7th St.からリトルウクライナとなり、そのまま散策を続ける。

■イーストビレッジの「リトルウクライナ」

7th St.から雰囲気が全く異なる。3rdから既に教会のサインが見え、7thを少し
中へ入ると右側にビザンチン様式に似たセント・ジョージ・カトリック教会が視
野に入る。

St. George's Ukrainian Catholic Church

教会は1840年代にMethodist Episcopal Churchとして創建され、1911年にウクラ
イナ教会となり、1977年に現在の教会へ建て替えられた。

リトルウクライナと呼ばれる地区は、Houston and 14th Street/Third Avenue a
nd Avenue Aの間に位置し、17世紀以降、ウクライナからの移民が住む地区であ
る。

教会の裏の通りにウクライナ博物館がある。

The Ukrainian Museum in Little Ukrain
222 East 6th Street (bet. 2nd and 3rd Aves.) New York, NY 10003
212-228-0110
Wed. thru Sun. 11:30 am - 5:00 pm

ただ、ウクライナと言っても、教会の名から、ウクライナ(東方)カトリック教徒
が多い西部からの移民であろう。ユニエイトとも呼ばれ東方典礼カトリック教会
と同一、なのでウクライナカトリック東方教会とも同じではないかと考える。ユ
ニエイトの典礼がローマではなくビザンチン様式であることから正教と同一にな
りウクライナカトリック東方教会と同じとなる。呼び方が異なるだけなのかやや
こしい。

先のカトリックと正教のトップ会談を受けて佐藤優によると、以下の通り。

「教皇の会見については、「世界平和を祈った」という類いの抽象的な発表しか
されないが、実質的にはかなり踏み込んだ話が行われる場合が多い。今回のキリ
ル1世との会談は、特に政治的性格を強く帯びる。

ロシア正教会とカトリック教会の係争は、ウクライナ西部に拠点を持つユニエイ
ト教会(東方帰一教会/東方典礼カトリック教会)【注3】の処遇だ。ユニエイ
ト教会は、
   ・下級司祭が妻帯する、
   ・イコン(聖画像)を崇敬する、
など習慣や儀式はロシア正教会とほぼ同じだが、ローマ教皇の首位権と教義解釈
を認める特殊なカトリック教会だ

このユニエイト教会が、ウクライナにおける反露ナショナリズムと結びついてい
る。よって、ユニエイト教会問題について、フランシスコ教皇とキリル1世総主
教が妥協すれば、ロシア・ウクライナ間の紛争沈静化に影響を与える。」
ここまで抜粋

つまりリトルウクライナは、ウクライナ西部からの移民の町ということになる。

Little Ukrain

しかし、ウクライナからの移民にはユダヤ教徒やロシア正教徒も少なくないこと
を勘案すると、西部出身者のウクライナカトリック東方教徒はイーストヴィレッ
ジに集まって住み、ロシア正教徒はロシア人と同じコミュニティーへ、ユダヤ人
もソ連出身のユダヤ教徒コミュニティーと同化したと考えられる。結果としてウ
クライナカトリック東方教会(東方典礼カトリック教会=ユニエイト)教徒がイー
ストヴィレッジに集まって住んだことからコミュニティが形成され継続している
ことからマンハッタンで「リトルウクライナ」と呼ばれることになったと思われ
る。

ロシア語話者はブライトンビーチ地区にコミュニティを形成しているのでウクラ
イナからの正教徒移民もいることだろう。

ウクライナ人街

店の前を通っただけだが、ウクライナ料理レストランも当然ながらある。西部ウ
クライナ料理といったほうが正確かもしれない。

ウクライナ料理のOdessa
119 Avenue A
(Avenue A Between St Marks Pl & 7th St)
New York, NY 10009

Veselka ウクライナ家庭料理
144 Second Avenue
New York, NY 10003
212 228 9682

★★★本文ここまで★★★

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ズで自動的に改行されていまいます。悪しからず。

■■後記

ウクライナ料理、素朴で美味しそうな印象だが、都合が付かず試していない。次
回のNYC滞在へ持越し、といってもいつになることやら。それよりも、ウクライ
ナへ行く機会を探った方が早そうだ。東部ウクライナはユダヤ人も多いと聞いて
いる。東部と西部で異なるウクライナ、ゆっくりウクライナを旅してみたいとNY
Cで感じた。行けるだろうか、東部へ。

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2016年2月22日月曜日

【世界街角通信MM】第247号 ニューヨーク紀行その11-2016年2月21日



★★★メールマガジン「世界街角通信MM」第247 2016221日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

昨年9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在する機会がありましたので筆者の
視点で綴った「ニューヨーク紀行」をお届けしています。今回はその第11号です。
いささかバックログの感は否めませんが、どうぞお付き合いください。

▼目次
■改装されたグランドセントラル駅
■マンハッタンのインド人街
NYCの日本人とマンハッタンの住宅事情
■■後記

★★★本文★★★

前号 NYC韓国人街に付いての記事
NEIGHBORHOOD REPORT: FLUSHING; In a Onetime Koreatown, Signs Are the New
 Battleground

In Queens, Kimchi Is Just the Start

■改装されたグランドセントラル駅

フラッシングタウンから地下鉄7号線でマンハッタンへ戻る途中、乗り換駅であ
るグランドセントラル駅の地上部を見に行った。巨大な空間であり、天井高は12
5フィート、38.1mあり、天井には星座が描かれている。この星座は鏡に映しなが
ら描いたため天球を外側から見た星座、つまり神の視点を表現している。

グランドセントラル駅は、NYCマンハッタンの3大ターミナルの一つ(ペンシルベ
ニア駅、ポート・オーソリティ・ターミナル)で最大となる。メトロノース鉄道
のターミナル駅でNYCからNYC郊外のNY州、コネチカット州、ニュージャージー州
への通勤列車が多く発着する。地下に29のホームと46の発着番線を持つ。

また、マンハッタンを代表する歴史的建造物で1871年にニューヨーク・セントラ
ル鉄道により旧駅舎が完成・開業した。現在の駅舎は191321日に改装・修復
したものである。建物は古典主義風のボザール様式(アメリカン・ボザール)の
建築物である。床面は大理石が使われ、天井には星座が描かれている。

Metro North Railroad

1966年に高層ビルへ建て替える再開発計画が発表されたが、NYC等の反対にあい
裁判所の裁定により計画は撤回された。1998年に再び改装している。私の知って
いるグランドセントラル駅は改装前だったことになり、今回、改装後を見学した。
以前のイメージは煤けていた印象だったが今回は天井の星座が澄んでいた。2013
21日に駅舎築100周年を迎えている。

バブル経済華やかし1980年代後半、グランドセントラル駅から発着するメトロ
ノース鉄道沿線、ウエスト・チェスター郡などが日本人駐在員が多く居住してい
た地区であり、夜遅くなると車輌には多くの日本人ビジネスマンが乗車し一様に
日経新聞を広げている姿が見られたそうだ。(wiki

これは全く知らなかったが、近くにある「ウォルドルフ・アストリア・ホテル」
には引き込み線が敷設されているという、現在は使われていない。

大体この駅は、スケール感がヒューマンサイズを超えているので想像を絶する、
それが狙いなのかもしれないが、いつ見ても圧倒される。

記憶のもう一片は、PANAMのビル、今もビル自体は存在するが、遠くからでもPAN
AMのサインがよく見え、あそこがグランドセントラルかと思ったものだ。

■マンハッタンのインド人街

知人宅からほど近いところにインド商店やインド料理屋等のインド人街が形成さ
れている。インド人とて世界中で活躍しているのでマンハッタンにインド人街が
あっても不思議ではない。場所はLexington Avenue25-30th Str."Rose Hill
"という近隣住区で南インド料理店が多いとの情報だ、客がそれほど区別出来る
とは思えない。

インド人街形成の核は、1944年にK.Kalustyanが現在の地に「Kalustyan's spice
 shop」を開店しインドスパイスを輸入販売したことによる。この周辺にインド
人移民が集まってきたようだ。

Kalustyan's
123 Lexington Avenue, New York, NY 10016
212-685-3451

マンハッタンのインド人人口は2000年と2010年のセンサス比較では倍増している
とのこと、実数まで把握していない、失礼。

夜の集まり用にカレーをテイクアウトした、タンドールがあり外からインド人料
理人がナンを焼いているのがよくみえた。

NYCの日本人とマンハッタンの住宅事情

土曜日の夜にNY駐在の日本人が知人宅に集まりホームパーティとなった。多くは
UN勤務だが、院生、商社やメーカーの駐在員もいた。筆者的な興味としてはどの
ような生活をしているのだろうかと住宅に興味を持った。

20年近く留守している間に米国は着実にインフレを積み重ね、その反対にほとん
どデフレ状態が20年続いた我が国と比較すると、かなり高い物価水準となる。

1990年ごろのNYCの地下鉄・バスは1回1ドル、それが、2.75ドルになっていた
ので、単純に計算しても2倍以上(単純ではないのだが)となる。

当時、それより少し前になるが、1980年代後半、友人が住んでいたマンハッタン
のワンルーム(Studio)が1800ドルだった。場所ははっきりと記憶にないが、マ
ンハッタンでも都心、タイムズスクエア辺りで女性が住んでいるという小奇麗な
部屋だった記憶だ。

今回、お世話になった知人宅はグラマシーにあり月額4600ドル、1ベッドルーム
(1LDK)、この部屋のLは通常より広い(下記のとおり67m2)。

これまた単純に地下鉄料金と同じ料率で計算すると、立地が異なるが、4950ドル
となる。知人よれば、マンハッタンの住宅は設備が古く、高い、とのこと。また、
インフレが数%ながら継続して20数年も上昇するとこういう結果になるのだとい
うことを思い知らされた思い(そう単純ではないが)。

本人は既に越してしまったので具体的な諸元を挙げると、33階建て、1992年築、
総戸数166戸、賃貸用、地下鉄駅6号線他、徒歩5分となる。

彼の部屋は725ft2(67.35m2)なので、平米賃貸単価で68.23米ドル、知人が住み始
めた2012年の為替レート(USD=78.18円)だと平米賃貸単価は5334円となる。東
3A地区と同程度だったかもしれないが、20161月だとUSD=120.36円なので円
貨換算の平米賃貸単価は8212円となる。つまり、為替の変動によって約36万円が
55.36万円に推移したことになる。この賃貸料は知人の住宅手当を大幅に超え持
ち出していた。

Studio525ft(48.77m2))でも3000ドル後半、現在募集中のは500ft23600ドル。

ブローカーの手数料(マンハッタン)は、アパートを紹介すると年間家賃の15%
を大家から受け取ることになるとのこと、下のリンクでは居住者が支払うことと
なっているので記憶違いかもしれない。

マンハッタンの住宅高いのは安定した需要増とみられ、空室率が1%程度とのこ
と、2004年以降、借り手市場から貸し手市場になり、家賃が年々高騰していった
ようだ。

ニューヨークの住宅事情

因みに一棟丸ごとの販売記録がある、この記録から5年で32.4%値上がりしてい
ることがわかる。
200611月 USD92,500,000
20113   USD122,500,000

冒頭の通り、今回お会いしたNYCの日本人はUN勤務、院生、商社やメーカーの駐
在員等だった。UN等の国際機関や商社等では並みに手当が出ていることだろう。

知人のアパートはやや高めだが、立地が良いし設備もそれほど古さを感じない、
マンハッタンだとStudio2000ドル台からありJPOの方は、2000ドル台後半の家
賃のアパートに住んでいるとのこと、それで、UNの住宅手当(700ドル?)+給
料から賄っていた。高いのは家賃だけではない、食事とて高いので出来るだけ自
炊をしつつ、少し残る程度とのことだった。

院生の方は、住宅は学生寮(近くにNYUの学生寮があったが立派なアパートだっ
た)に入ることができるので比較的安く収められるが、授業料が高いので奨学金
をもらっていても不足してしまうとのこと、特に、最近はミッドキャリア向けの
大学院が開講しており年間の授業料が8万ドルだとのこと。通常でも5万ドル程度
だったと思う。これまでの貯金を使い果たしたとコメントしていた。

普段とは異なる職種の人たちとの交歓であったことは間違いない。

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共同執筆でThe Povertistというサイトに投稿しましたのでご案内いたします。
テーマは、10月下旬に安倍首相が訪問した中央アジア地域の展望です。この訪問
が我が国の対中央アジア地域支援の第4フェーズ展開の契機となるのか、という
視点です。

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■■後記

1月後半から2月中旬まで多忙を極めておりました。8日ぶりに休日となり、続き
の書き掛けを書いています。現在、その11なので、あと1から2号分がこのシ
リーズとなる見込みです。引き続きどうぞよろしくお願いします。

その後は、「アフリカの角」シリーズとなる予定です。

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メールマガジン「世界街角通信MM」第247 2016221
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2016年2月1日月曜日

【世界街角通信MM】第246号 ニューヨーク紀行その10-2016年1月31日



★★★メールマガジン「世界街角通信MM」第246 2016131日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

昨年9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在する機会がありましたので筆者の
視点で綴った「ニューヨーク紀行」をお届けしています。今回はその第10号です。
いささかバックログの感は否めませんが、どうぞお付き合いください。

▼目次
■新中華街、フラッシングタウン
▼中国系米国人人口 in NYC
▼フラッシングの韓国人街

■■後記

★★★本文★★★

■新中華街、フラッシングタウン

ロックフェラー大学で門前払いとなり、次の目的地、Queensのフラッシングタウ
ンへの行くために6号線レキシントン通り・59丁目駅まで歩いた。手前にマンハ
ッタンとイーストリバーの中州、ルーズベルト島を結ぶトラムウェイ(ロープウ
ェイ)が運行している。NYC交通局傘下なので共通チケットとなる。しかし、毎
日、このトラムウェイでの通勤はいささか躊躇するなあ。

▼地下鉄でフラッシングタウンへ
白い外装のデパートの横を抜け、6号線レキシントン通り・59丁目駅から地下鉄、
グランドセントラルで7号線に乗り換え、終点のFlushing Main St.まで、土曜日
なので地下鉄は空いているし、ブルックリンに渡ってからはほとんど高架上なの
で廻りの景色も望める、ただ、美しいとかそういうのではなく、現状を把握する
視点という意味でだ。Penn Stationから9.1 mile=14.56kmの距離となる。

Flushing Main St.駅に到着する手前から車窓には漢字とハングル語が目立った。
Main StreetRoosevelt Avenueが中心地、駅を出てびっくり、看板の文字が中
国語(漢字という意味で北京語なのか広東語なのか等はわからない)、ハングル
も少し、乗降客もアジア系がほとんど、ここがNYCとは全く想像できない。

1970年代まではマンハッタンの中華街から溢れた広東系中国人移民が多く移り住
んでいたが、1970年代から北京語を話す、毛沢東の共産党に敗れた蒋介石が率い
た国民党の残党が多く移住した。そのことから、Little Taipei若しくはLittle
Taiwanと呼ばれた。

広東系は主にマンハッタンの中華街で働く労働者クラスが多かったが、台湾から
の移住者は教育レベルが高く、社会経済的にもステイタスが高いことから、マン
ハッタンの中華街とは関係せず、この地に根付き、北京語のコミュニティを形成
していった。

その後、広東系でないその他の中国人が大陸の各省から移民し、これまでの台湾
系に加えより多くの北京語を話す中国人が増加しMandarin-speaking Chinatown
(北京語話者中華街)若しくは、Mandarin Town(北京街)と呼ばれるようにな
った。Flushingは、同じQueens区のElmhurstとともに代表的な

▼中国系米国人人口 in NYC

NYCの中国系米国人の比率は6.3%(2012)、中国系が多いのがQueens区で9.2%、約2
0.8万人、その次がBrooklyn区で7.6%、約19.5万人、そして、Manhattan区で6.0%
9.7万人となる。

A       B               C       D       E
1       Queens         208,897 1,912.3 9.2
2       Brooklyn        195,750 2,772.3 7.6
3       Manhattan       97,461  4,244.8 6.0
4       Staten Island   13,620 232.9   2.9
5       The Bronx       6,891   164     0.5
        Total NYC(2012) 522,619 1,727.1 6.3

Legend
A;Rank
B;Borough
C;Chinese Americans
D;Density of Chinese Americans per square mile
E;Percentage of Chinese Americans in municipality's population
(wiki)

▼フラッシングの韓国人街
韓国系は本国に次いで多いのが米国、約200万人居住している(UN2010)NYC都市
圏では約15万人の韓国系移民がおり郊外ではnorthern New JerseyWestchester
 County等の日系人が既に居住していた地区にコミュニティを広げていった。

マンハッタンのコリアンタウンはつとに名が知れている。

Greater New York Combined Statistical Areaでの韓国系は218,764(2014)との
統計がある。NYCでは約10万人の韓国系が居住し、その3分の2Queens区に集ま
っている。特にFlushing Townには中国系とともに韓国系移民も多く、Northern
Boulevard沿い、Flushingに隣接するロングアイランドにかけてKoreatownが形成
されている。

タウン名でいうとQueens区のMurray Hill, Auburndale, Bayside, Douglaston,
Little Neck, そしてNassau Countythe Gold Coastとなる。

1980年代、韓国系移民が流れがFlushingに向かった。その多くが医療従事者であ
った。また、留学生がNYCでプロフェッショナルな職業に就くため、または、起
業するためにUnion Street, 35th,41st Ave.にレストラン、書店、美容サロン、
商店、ブティック等を開業しことがNYCの韓国街形成の基になっている。

そして、ビジネスに成功し社会経済的な地位を得た韓国人は、Flushingの東方、
Northern Boulevardに沿って住宅を取得するなど韓国人コミュニティが拡大して
いった。

Murray Hill(Long Island Railroad station)周辺には、韓国料理通りがある、
残念ながら今回の滞在ではそこまでは足を延ばせなかった。

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■■後記

移民の国USA、移民の都市NYC、掘り下げれば掘り下げるほど興味がわくが、この
滞在中はそれほど事前リサーチをせずに歩き回ったので驚くべきことが多かった。
今回、ご紹介したフラッシングタウン、経緯はマンハッタンの韓国街で食べた料
理があまりにも端折ったものなったのでNYCでまともな韓国料理が食べられると
ころはないかと、今回、お世話になったNYC在住の相方に聞いたら、この町の名
前が挙がったので、では、是非行こうとなった次第。

百聞は一見にしかず、来てみないとわからないのもだが、収穫は大きかった。

Flushing、駅の上にMacy'sがあったが、無ければまったくの中国だった(筆者は
実は大陸中国の経験はまだないので、香港や台北の印象という意味)。

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2015年12月14日月曜日

【世界街角通信MM】第244号 ニューヨーク紀行その8 2015年12月14日

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▼目次
■NYCのロシア正教会St.Nicolas Cathedralへ
■アッパーイーストのMadison Ave.は高級ブティック通り
■アールデコのカーライル・ローズウッドホテルとJFK
■■後記

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テーマは、10月下旬に安倍首相が訪問した中央アジア地域の展望です。この訪問
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http://www.povertist.com/ja/japan-assistance-central-asia/

★本文★

■NYCのロシア正教会St.Nicolas Cathedralへ

ブライトンビーチでリトルロシアを堪能したので、週末でもありそのロシア正教
の米国での本拠地であるイーストサイドにある聖ニコライ教会を訪れることにし
た。

地下鉄6番線で23丁目駅から96丁目駅まで行き、目指すは97丁目、5番街とマジソ
ン・アベニューの間だ。地下鉄はレキシントン・アベニューの地下を走っている
ので地図上ではレキシントン・アベニュー96丁目から97丁目へ1ブロック北上し、
そこからパーク・アベニューとマジソン・アベニューを横断し西へ行けばよいこ
とになる。しかし、既に建物が周囲に建てられているので間近まで行かないと全
景が望めないのが現実だ。この辺りの五番街はセントラルパーク沿いなのでグ
リーンが見えるはず、この辺りであろうと歩いていくとビルとビルの間にロシア
正教会特有の屋根が見えた、正面にはSt.Nicolas Cathedralのプレートを確認し
た。

ドアを開けて中に入ると数人の信者がいた。照明が付いているのでミサが終わっ
たばかりの様子、司祭もまだ居た。蝋燭を買い、燭台に立てて教会内を見て回っ
ていると、蝋燭を順番に消している人がいた。どうやらお開きらしい。我々とし
てはぎりぎり滑り込んだ状況のようだ。しばしこの聖なる空間での時間を満喫し
た後、外へ出ようとしたら既に玄関が閉まっていた。それで裏口から97丁目通り
へでた。

Russian Orthodox Cathedral of St. Nicholas
15 E 97th St, New York, NY 10029
http://mospatusa.com/

ロシア正教徒のコミュニティは1890年代初期にローワーマンハッタンの一室で発
足した。1899年には300人を超えたことから新たな教会建設が必要となり、地価
の安い現在の地である15 E 97th St.の土地をニコライ2世皇帝の7,500ルーブル
をはじめとする寄付により用地が取得され、教会が建設された。

1901年5月21日に大主教Tikhonにより教会の隅石が敷設され建設が開始された。
設計は、ロシア正教会の典型的なデザインを踏襲しJohn Bergesenが担当した。

構造は石造、ファサードはダークレッド色ブロックと石灰岩、そして、緑、青、
黄色のタイルをトリムとして、7つのドーム屋根を設けたデザインとなっている。
内装ではドームでは、緑色に塗装された亜鉛メッキ仕上げされた鉄製の表面とブ
ロンズに金箔仕上げされたリブの彫刻がが照的なデザインとなっている。

正教会は1904年に竣工し、翌年の1905年、サンフランシスコにあった北米及びア
リューシャン列島のロシア正教区の司教座をニューヨークへ移転し、聖ニコライ
教会を本拠地とした。

写真
http://mospatusa.com/parishdirectory.html?type=details&id=4

http://www.stnicholasberks.org/hierarchy.html

ロシアでボルシェヴィキ(ソ連共産党の前身。 十月革命を指導。 ロシア語で
「多数派」の意味。)が政権を取った頃、ソヴィエトは、1920年代初期に一時的
にロシア正教会教区が独立宣言をした聖ニコライ教会の聖体の所有を支配した。

聖ニコライ教会の所有権はNY州控訴裁判所により、ボルシェヴィキ傘下の教会
(リビングチャーチ)に移管され、その後の数十年は正教会として機能すること
は容易ではなくなった。

ソヴィエト連邦崩壊後、聖ニコライ教会はロシア正教会の総主教Alexei IIの下
へ移され、米国におけるロシア正教会の主教座となっている。

■アッパーイーストのMadison Ave.は高級ブティック通り

聖ニコライ教会を出て、セントラルパークを右手に五番街をローワー(南)へ歩
き始めたが、「アッパーイーストのマジソン・アベニュー」と称してよく雑誌の
記事になっていた記憶だったので、96丁目か95丁目を右折しマジソン・アベニ
ューへ戻り、次の目的地であるロックフェラー大学のある67丁目まで歩くことに
した。

マジソン・アベニューのブティック街(地図)
http://newyork.navi.com/miru/116/map/

90数丁目から80台丁目へと南下するにしたがってブティックやギャラリー、宝石
店、カフェなど商業施設が多くなり徐々に雰囲気が変わっていく。95丁目と94丁
目の東側にインドで観たような赤砂岩(?)の建築が目に付いた、ハンターカレッ
ジのハイスクールのようだ。

有名ブランドショップは上記の地図に紹介されているように72丁目付近からだろ
うか、80台丁目でも実際多かった、下記タイトルは大袈裟だが外れてもいない。

マジソン・アベニュー「世界の一流ブランドが集まるニューヨークを代表する高
級ショッピング街。静かで優雅な街並みをブラブラ歩きで気分はセレブ。」
http://newyork.navi.com/miru/116/

途中から、トップが金色に輝く一際目立つビルが視野に入ってきた、これは
「カーライル・ローズウッドホテル」、ローズウッドは数年前に追加されたよう
だ、カーライルホテルのが通りがよい。このホテル、ジョン・F・ケネディとも
所縁がある。

縁が見つけられないので「カーライル・ローズウッドホテル」は素通り、先を急
いだ。74丁目とのコーナーにはにアップルストアがある。

Apple Store
940 Madison Ave, New York,

67丁目から左折し、ロックフェラー大学のあるイーストリバー沿いのYork Ave,
を目指した。

■アールデコのカーライル・ローズウッドホテルとJFK

マジソン・アベニューで一際目立っていたのが、ビルのトップが金色に輝き遠く
からもよく見えたアールデコ様式の「カーライル・ローズウッドホテル」、2001
年にローズウッドが所有し、それまでは「カーライルホテル」、コーポラティブ
方式で運営されている、部屋数は191室、レジデンス用に60戸の分譲住戸がある。

「カーライルホテル」の名は、スコットランド人のエッセイストThomas Carlyle
にちなんでいる。

マンハッタンで高層ビルが建ち始めた第一次世界大戦後に35階建てのレジデンス
ホテル=アパートメントホテルとしてMoses Ginsbergにより建てられた。

アパートメントホテルの初期の代表格かもしれない「カーライルホテル」が開業
間近の1929年、世界大恐慌の影響を受け、1932年にLyleson Corporationへ売却
された。

第二次世界大戦後、「カーライルホテル」は新たな卓越した社会階層を向かえた。
1948年、NYのビジネスマン Robert Whittle Downingがホテルを買収し、これま
での社会的地位のある住まいから流行のスポットライトが当たるような優雅な
ヨーロピアンが親しめるホテルへの転換を始めた。その年、米国大統領として初
めての滞在となるトルーマン大統領を迎えている。その後の大統領もこのホテル
を利用している。

The Carlyle, A Rosewood Hotel
35 E 76th St
New York, NY 10021
http://www.rosewoodhotels.com/en/the-carlyle-new-york

部屋はこちら
http://tinyurl.com/hycobu6

レジデンス
http://tinyurl.com/gv5kwbz

「カーライルホテル」がNYCのホワイトハウスと呼ばれるようになったのは、ジ
ョン・F・ケネディの頃だろう、JFKは34階のアパートを所有し暗殺されるまでの
10年間をここで過ごしている。1961年1月、JFKが大統領就任式の数日前にこの
「カーライルホテル」に滞在していることが広く公表された。

1962年5月19日、マリリン・モンローがマジソンスクエアガーデンでケネディ大
統領誕生祝賀会で "Happy Birthday, Mr. President" を歌った後、モンローは
ケネディ大統領とその友人達とともに東77丁目から秘密のトンネルを通ってカー
ライルホテルのケネディの部屋へ入っている。

Kennedy orgies in romper room
http://nypost.com/2010/06/15/kennedy-orgies-in-romper-room/

JFKの息子のJr.はこのホテル取った朝食が彼の人生最後の朝食となった。

Palace of Secrets Receives Suitors, Quite Discreetly; Carlyle Hotel Regu
lars Hope Sale Will Not Bring Changes
http://tinyurl.com/jfj3kst

Cafe Carlyleは、著名なジャズミュージシャン出演している、筆者はこの分野疎
いの下記の記事をご覧いただきたい。

George Feyer 1955-1968
Bobby Short 1968-2004
Woody Allen 1996-

Wiping the Stains Off a Bit of Old New York Glamour
http://www.nytimes.com/2007/09/18/arts/music/18carl.html

さて、現在の経営はどうなっているのかというと香港資本の傘下にある。簡単に
示すと下記の通り、2011年に新世界へ売却されている。

2001年、Rosewood Hotels & Resortsが所有
2011年7月、新世界發展有限公司傘下のNew World Hospitalityが買収

New World Development Company Limited
新世界發展有限公司

New World China Land Limited
新世界中國地?有限公司

New World Hospitality (renamed to Rosewood Group)

Rosewood Hotels & Resorts

The Carlyle, A Rosewood Hotel

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■■後記

同じ1930年頃に建てられたアッパーイーストのホテルにThe Pierreがある。2005
年にTaj hotelとなっている。その他、The Surrey、The Mark等も気になる。

The Pierre, A Taj Hotel, New York
2 E 61st St, New York,
http://tinyurl.com/lxltzgt

The Surrey
20 E 76th Street,, New York
http://www.denihan.com/

The Mark
25 E 77th St, New York,
http://www.themarkhotel.com/

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メールマガジン「世界街角通信MM」第244号 2015年12月14日
発行責任者:飯尾彰敏
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2015年12月10日木曜日

【世界街角通信MM】第243号 ニューヨーク紀行その7 2015年12月10日

★★★メールマガジン「世界街角通信MM」第243号 2015年12月10日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

訂正:前号、「その5」として発信しましたが「その6」でした。

9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在する機会がありましたので筆者の視点
で綴った「ニューヨーク紀行」をお届けしています。今回はその第7号です。

▼目次
■ボルジョミのミネラルウォーターとグルジアワイン


■■後記

【ご案内】
「日本による中央アジア地域支援の展望-安倍首相中央アジア訪問に寄せて」

共同執筆でThe Povertistというサイトに投稿しましたのでご案内いたします。
テーマは、10月下旬に安倍首相が訪問した中央アジア地域の展望です。この訪問
が我が国の対中央アジア地域支援の第4フェーズ展開の契機となるのか、という
視点です。
http://www.povertist.com/ja/japan-assistance-central-asia/

★本文★

■ボルジョミとグルジアワイン

前号で触れたブライトンビーチの酒屋で販売していたボルジョミとグルジアワイ
ン、両方ともグルジア(ジョージア)産、知っている方は知っているのですが一
般に聞きなれない言葉かと思いますので以下に簡単にご説明します。

▼ボルジョミのミネラルウォーター

ボルジョミと言えばミネラルウォーターを差す。昨年からか、国名を英語読みに
変えた南コーカサスの国グルジア、現在はジョージア、の南部、サムツヘ=ジャ
ヴァヘティ州北西部のボルジョミ渓谷に位置する町ボルジョミ(Borjomi)、こ
この鉱泉で取れるミネラルウォーターが特産です。

ボルジョミは、帝政ロシアのロマノフ王朝時代に開発が進み別荘が多く建てられ、
ソ連時代になりサナトリウムとなり、現在は観光資源として活用されている。

帝政ロシア軍がこの地に赴いた際、この地で温泉を発見し胃の病に苦しんていた
軍人がボルジョミの水を飲んだところ治癒した、そしてその泉を保護したことや、
その噂が広がり治療のためにこの地を訪れる帝国内のロシア人が増加した。

ミネラルウォーターとしては、ロマノフ王朝の監理の下、1890年代からボトル詰
にされロシア各地に移送された。ソ連時代のミネラルウォーターといえばボルジ
ョミでした。
http://borjomi.jp/about_borjomi4.htm

Googlemap
41.847750、43.404965

なお、ボルジョミは日本でも販売されている、ちょっと高いが。
http://borjomi.jp/

▼グルジアワイン
その名の通り、グルジア(ジョージア)産のワイン、ワイン発祥の地ともいわれ
る、東部のカヘチ地方が産地。グルジアとしたのは「ジョージア」だとどうもイ
メージが変わってしまう故。

グルジアワインは、セミスイートの赤ワイン、フヴァンチカラ (Khvanchkara)
が「甘口ワインの真珠」として著名ですが、キンズマラウリも同様に甘口です。
http://www.georgia-wine.com/khvanchkara.htm

ツクリアラ (Cqriala) と呼ばれるスパークリングワインは、フヴァンチカラ
(セミスイート赤ワイン)のツクリアラ(スパークリングワイン)もあり希少だ
が、それ以外にもスパークリングワインはあります。

グルジア産のワインは歴代のロシア皇帝やソ連邦共産党幹部御用達であった。ヤ
ルタ会談の際に出されたスターリンの故郷でもあるグルジア産のワインは、チ
ャーチルにはたいへん好評でアルメニア産ブランデーのAraratとともにグルジア
産ワインをロンドンへ送るようスターリンへ所望している。

日本で買えるグルジアワイン
http://www.georgia-wine.com/georgian.fascination.htm

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■■後記

前号で触れた「リトルロシア」であるブライトンビーチの歴史は後ほどレポート
することにします。

所要によりやや間が空きましたが、紐育紀行、更につづきます。

★---------------------------------------------☆☆
メールマガジン「世界街角通信MM」第243号 2015年12月10日
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